ミサワブラック!!

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フィクションってなんで人のことを簡単に許せるのかがマジでわからん

いやさぁ…フィクションがなんで簡単に人を許せるかとかいつも思っちゃう。

「フィクションだからだよ。」
「フィクションなんて嘘か祈りだからだよ」
ってのが多分正解なんだろうけど、だとしたら無力だなぁ…って気持ちにしかならない。

 

特に親子の確執って、そんな簡単に許せる人の気持ちが全くわからん。

 

ぼくさ…今さらっと思い出せるだけでも、親と和解しちゃったがために俺の中でマンガの価値が暴落したマンガが2つあるわけ。

 

1つは、暗殺教室。

 

 

  ジャンプでNARUTOが終わりに向かってる時に、僕が久々に好きになったマンガなんだけどさ…毒親と渚くんが数巻で簡単に和解しちゃったのを見て、俺の中で

「このマンガ、なんでも丸く収めちゃうんだなぁ~」
少年マンガの中にはシリーズ単位で引きずるほど親子の確執って大きいテーマなのに、それをあんな簡単に鞘に収められちゃうと萎えるなぁ~

という気持ちになった。

 

女の子の化粧の顔ばっかり見てたけど、化粧取ったらすげー別人で、萎えた感覚ってきっとこんな感じなんだろうなぁ…って気持ちになった。

いや、ぼくと関わる種類の女性は、そもそも化粧しないタイプとか、化粧が崩れたごときじゃイメージ変わらないほど個性強い人が多いから、僕は多分すっぴんの顔見ても折れないと思うけど…さ。

 

もう一個が、今週紹介しようと思ってたこれ。

 

 久々に裏サンデーで紹介したいマンガ見つけてじっくり読んだら、12年にも及ぶ親子の確執がモノの数話(1巻どころか3分の1巻で)鞘に収まって、

この作者さん、ルポはうまいけど、フィクションはド下手だ

って結論になって、すごく萎えた。

 

…ぼくはルポ大好きだから、ルポとして優秀な時点で紹介するよ?
でも、フィクションとしては「この作者さんは、長い話とか書かないで、リアルにリアルに行ったほうが、きっと面白い」と思った。

 

範馬勇次郎と刃牙が和解するまで何巻かかってると思ってんの!?

シリーズを3つに跨いで、100巻近く揉めて、壮絶な親子喧嘩を繰り広げて和解してるんだよ!?

 

僕の好きな少年マンガって刃牙とハガレンとNARUTOなんだけど…この3つ、シリーズ単位で親と確執があるか、親のことをよく知らず真実にたどり着く壮大な親子の話なんだよ…。3つとも共通して。

 

俺は、人生かけて
「人生で出会った人の中でオヤジより頭いい人・お金持ってる人・有名な人など色々知ってるけど、一番頭が良くてすごかったのは結局オヤジだった」

って、27年ぐらいかかって気づいたわけ。(本人が言う部分はわかってたけど、本人の口から言わない部分は大人になって、色々やって…あるいは困った時に迷惑をかけて気づいたわけ)

 

逆に母に対しても、

「あんなにイキッてた母親が、実は人生で出会った人間の中でもトップクラスに小さい人間。同時に、小さい人間なりに僕に一生懸命になってくれるほど親子の絆って切っても切れないもんだし、女性の母親スイッチってすごいんだ」

って思い知らされたわけ。

 

だからこそ、父は尊敬してるし、母という人間を軽蔑しながら母なりに頑張ってくれたことに感謝してるわけ。

 

刃牙、ハガレン、NARUTOって全部、親に対して反抗的か、逆に親の敷いた・残してくれたレールをそのまんま歩かなかったからこそ、結局は親の大きさを知って和解してるわけ。

 

しかも、連載と同時期に僕は成長しながらこれらのマンガを読んでいて、刃牙とかハガレンとかNARUTOの親子観って、歳を重ねるほど「わかるなぁ~」って思えるわけ。

 

あと、ぼくがガイナックス作品好きな理由もこの「親との距離感」というテーマが盛り込まれていることが多くてですね…それも、親と安易に和解しない(親も親で子どもに言ってもわかんないから、和解を求めない)絶妙な距離感で…好きなわけ。

 

庵野秀明が監督やろうが、山賀博之が監督しようが、今石洋之が監督やろうが、親とは和解しないわけ。(親子関係が表面上だけでもまともなの、FLCLぐらいじゃないか?あの会社のアニメオリジナル作品)

 

なんか親子の確執って、そのぐらいめんどくさいもん。
親が人生の分岐点でごっそり親の権利を悪用したり、逆に親がいないことで不便をかけたりしたことって、一生涯引きずる…自分が大人になって、客観的に親を見るだけの物差しを獲得しないととてもじゃないけど、親と和解しようなんて思えないぐらいのものだから。 

  

それだけ大きいテーマや、大きいテーマになりうるだけの大きな揉め事を1巻そこいらで片付けられると、部外者が説教して和解したりされると、

「え?こんなの嘘か祈りだよね?」

って思ってしまう。

 

「嘘か祈り」が嫌いなんだよ…僕は。

で、オタクの中には2つのメソッドで俺のことを批判してくる人が出てくるわけ。

 

1つは「ネタにマジレス」みたいな言い分。

マンガやアニメを大真面目に見るほうがアホなんだという人。ゴチうさとかポプテピピックみたいな、みんなで飲酒感覚でアニメを嗜む人達が、

「酒なんて酔えればいいんだよ。ワインや日本酒にうんちく垂れるな!酒がまずくなるだろ」

って感覚で俺に色々言ってくる。

 

もう1つはロマンチスト・エゴイストなパターンで、

「俺、嘘か祈り好きだもん」

ってやつ。

 

ちなみに、さっきから言ってる、嘘か祈りってのはバイオトリニティのこのコマの引用。

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俺さ…このコマ見て「嘘か祈り」が美しいとか言ってる人(バイオトリニティ紹介してくれた人)にこういう感じのこと言ったよ?

「バカじゃないの?」

って、呆れてSkype越しにぐったりしとったよ。

 

人間ってさ…そこそこのお金と気晴らしが最優先に必要で、その気晴らしが彼氏彼女で埋まってもやっぱりそこそこのお金はいるわけだ。

その「そこそこのお金」さえ持ってくれる異性はいると思うけど、それってさ…それが気晴らしになってるうちしか許してもらえない話なんだよ。

 

そうなってくると、リアルってお金の話でかつ自己実現の話なわけさ。

 

だから、そこが埋まってない愛情って、ほとんど幻なんだよ。

そこまで踏まえて「恋は幻」とまで言ってくれるなら椎名林檎ファンの俺は「あーりんごさんもそんな歌歌ってたから同意やで」って思うけど、幻を前に大マジになってる人間は余裕があるか病んでるよね。

 

だから、叶わない恋に走って精神的に壊れていく凪のお暇の3巻とかすげーリアルに感じるし、リアルゆえにグサグサ刺さってくる。

実際に起こりそうなことだし、やらかしとることだし、嘘でも祈りでもない人間が本気で悩んで本気で考えて本気でもがいとる姿だから(客観的には醜いんだけど、ちゃんと血の通った人間にフィクションの登場人物が映ってきて)美しいなぁ…って思うわけ。

 

結局、幻に美を求めた友人と、リアルに美を求めたぼくは決別したけど…ぼくは幻に美を求めた友達を斬った以上とことんリアルに行くだけのタフさとお金を身に着けないとな…って思うわけ。

 

なんの話だっけ?
そうだった、親子喧嘩の話だった。

 

親子喧嘩ってさ…幻が美しくなりえないんだよ。

親の苦労や愛情や見ていた幻を知っていく営みは限りなくリアルだし、それを知ってこそ和解できるもんだから…極めて親子関係ってリアルじゃないと美しくならんのよ。

 

だから、難解な親子喧嘩…もう喧嘩もしたくないほど距離を置いて、心を閉ざした者同士の確執が簡単に和解するマンガは、もうその時点でダメなんだよ。

 

ぼくが誰かと結婚する時にはそこをわかってくれる人じゃないと厳しいかもなぁ…。

ブサイクだとか料理ができないだとかそういうのはいくらでもカバーできるけど、「仲良くすることがいいこと」みたいな人の見当違いはカバーできない。

 

仲良くしたいなら勝手にやってと言っても許してくれるか、親と仲良くないから「二人で生きていこうね」って言い合えるか…。そんな相手じゃないと厳しいかもね。

 

仲良くはしたいよ?
でも、仲良くしたら、きっと母はアホだからまたぼくに幻を見ようとするもん。

 

ぼくは幻を見てる相手と話せないし、ぼくが20年苦しんだ枷を自分の愛する誰かに賭けてほしくないわけ。

 

客観的に見たらエゴだよ?
でも、愛のつもりで言ってることが許されないとなると、それはけっこうしんどいんよ