ミサワブラック!!

Twitterに揉めそうなことを書くとフォロワーが減るから、揉めそうなことはここに書く。文句があるやつははてブで言いやがれ!


ぼくが一般向けに記事をすると邪気が入るらしい

Peingにこんな記事が出てきた。

 

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バレたかぁ…。

 

青二才は日本最強のブログを目指してるが、ミサワブラックは本音と好きなことしかやってない

 

WordPressに移転してからというもの…ぼくは書き方を変えてる。

 

前から「Google検索から読みに来た人を意識した書き方」をしてきたけど、それをさらに検索寄りに「濃ゆいけど毒気はなく、文体が過激だけど中身は正論にためになる記事を」というのを目指してやってる。

 

だからこそ、本家のブログは作り込みすぎてしんどい。

はてなブログでやってた「雑に言いたいこと言うブログ」と違って、感情とロジックが乗っかってそれでいてコンプライアンスも守って、収益も狙って…そういう裏側の事情が見えないような好き勝手書いているように見える雰囲気…これを全部やるというすごい高いレベルのことをやろうとしてるからすごく大変。

 

全部の記事で検索順位1ページ目を狙って…いや、違うな。
極論、トイアンナとイケダハヤトとフミコフミオを越えて、ブログの勢力地図をひっくり返そうと思って書いてるから、死ぬほど気合い入れて書いてるし、タイトに作ってるからすごくしんどい。

 

ミサワブラックはその点楽。

嫌われていいと思って書いてるし、儲からなくていいと思って書いてるからよく言えば自由に、わるく言えば雑に書いてる。

テーマにも作り方にも制約を儲けてないし、そもそも自己満足でやってるからすごく楽。

 

だから、ミサワブラックみたいな昔からのスタイルで書いた記事の方が昔からの読者は好きだと思う。
ぼくにとってしんどいことは全くやってないし、いい記事を書こうと言う気持ちさえない。

 

嫌いなやつとは喧嘩してもいいと思って書いてるし、興味があれば読者にとってグロいテーマだろうとぼくがやりたかったらやる。(※即身仏の記事や、シャロンのハイレグの記事は、主婦層を読者に持つこのブログからするとかなり筋の悪い記事なんだけど…ぼくが興味の湧いたことだから勝手にやらせてもらってる)

 

 

だから、本家ブログの作り込み…力みというか邪気というか…エリートに非エリートがガチで戦いに行く時の
「倒すとか生易しいもんじゃ済まない。人生をかけて超える!潰す!存在自体を殺す!!」

ぐらいにやってるのは病んでるようにもこじらせてるようにも見えると思うし、そういうのが見えるが故に読んでると疲れるように感じる人もいると思う。

 

病んでるよ?一周廻った感じに

精神疾患は前に比べると良くなってるんだよ?

正確には精神疾患による弊害をコントロールできるようになってきたから、「体の支配権を取り戻したと言う意味」でね。

 

精神疾患の特徴である

・寝られない
・起きられない
・能力が下がる
・意味もなくネガティブになったり
・気が大きくなってできもしないことを約束してしまう
・集中力が乗りすぎて、体のどこかが痛くなるまで止まれなくなってる
みたいな弊害に気づいたことで、それを小さくしたり、前提においた上で行動してコントールできるようになったわけ。

 

「あ、今オレはネガティブになってる」
「あ、今の俺はノッてる」

みたいなことを気づいた上で先の予定を逆算したり、今日の予定を柔軟に変えてがんばれるようになった。

 

これはうつが酷かった時からするとかなり良くなったと思う。

…これが医学的な状況。

 

「病みが酷くなった」と言う意味は、もっと医学的じゃないところ。

 

やるべきことやできることがわかってきたからこそ、逃げ場がなくなってしまったし、逃げ場ないからこそ他人から見て「そんなしんどい努力もするのか」という努力もするようになった。

 

いや、むしろ「努力しないと生きていけないみたいな強迫観念が強くなった」と言った方がいいのかな。

 

ぼくはうつになった時点で…いや、発達障害に生まれたのに、学歴が獲得できなかったばかりか、奴隷として生きる選択も取れない体になってしまった時点で、もうぼくに残ってる選択は資本家になるか、死ぬかしかないんだよ。

 

「そこそこの社畜」「そこそこの奴隷」と言う選択を22で取れてればよかったんだけど、そこそこの社畜にはなり損ね、そこそこの奴隷をやったら病んだから、自分のライフスタイルを貫けるだけのお金と権限を持って生きるか、逆に死ぬかしかないわけ。

 

だから、良く言えば「腹を据えてがんばってる」わけで、悪くいうと「禍々しいほどの邪気が、ぼくが生きていることで出てしまってる」とも言える。

 

邪気っていうのは他人への恨みつらみなんて生やさしいもんじゃなくて、
この勝負に負けたら、お前死ぬんだからな?それも、死よりも辛い地獄を経て死ぬからな?
と語りかける自分自身へのプレッシャーね。

 

それが感じ取った上でそういう世界で生きてない人からすると怖いだろうさ。

そういう状況だから、楽しい時・気持ちが重くなってない時って限られてくるのよ。

発達障害持ってる人か、経営者の人と話している時。
または、マンガ読んでる時。
あるいは、筋トレしてる時や、サウナ入ってる時ね。

 

テレビとかネットとか見てると、かえって虚無感が強くなるから、かえって「アンナの狂気だと思ってんの?」「もっと俺は狂ってるし、狂ってるのをあんまり出さないようにしとるよ」って気持ちは強くなっていくわけ。

 

精神科医から見ると、これって病気なんですかねぇ?
id:p_shirokumaあたりに聞いてみたいところですが…どうなんでしょう?

 

とは言え、読者から見るとどうなのかがわかんないから聞いてみたい。

聞いてみたいから比較していただこう。

 

…というのもね、ここに表と裏で同じテーマで書いた記事がある。

表:オタクは恋愛向いてる。ポテンシャル「は」高いから、努力すべき | 青二才でいたかった

裏:恋愛ライターの恋愛語りは「ガールズトークの延長」であって、モテや恋の悩みを解決することはない - ミサワブラック!!

表はタイトかつ実用的に作り込んだ実用的な記事。

裏は婚活女子とトイアンナを全力で皮肉った記事。

 

前者はぼくは「作り込まれた最高にいい記事」だと思ってる。(病んだ発言はない)
後者は人の悪口が多いから病んでいるように見えることも多い。

 

一般的なオタクは前者の方が好きで、ネットオタクは後者の方が好きだと思うけど…どうなんだろうね?

 

ブログのカラーの違いを鮮明にするために書いた記事なので、
「同じ文体なのに、言ってること・やろうとしてることが180度反対」

な不思議な感じを味わってもらえば幸いだよ。

 

 

最後に、質問したいという人はこちらにどうぞ。

peing.net