この間、うっかり思い出して大爆笑してしまったエピソードをどうしてもどこかに書き残したくなったからブログに書く。
でもその前に、ちょっと予備知識を共有させて欲しい。
夢を見たら、「お告げがあった」といって朝食時に披露するイタコ系な母
散々「僕の母はアクが強い人物だ」と言ってるが、そのアクの強さを説明する上でぼくがよく使うエピソードが
「昨日、お告げがあったの」
と、自分が見た夢を熱弁するところだ。
しかも、迷惑なことに受験に行けないといけないとか、今日は運動会で、出ることがほぼ確定してる野球の試合で…とかそういう大事な日に限って
「お告げがあった」
とか言って夢の話をし始める。
我が家では、朝食の時に母の事実上の説法を聞かされるわけだが…母が夢を見たときだけは、「お告げがあった」と言い始める。
子どもの頃、親って絶対的な存在だし、いちいち疑ったりもしないでしょ?
だから、自分が見た夢を「お告げだ」と言いはったり、自分のことを棚に上げて説法を繰り広げる母親がすごい人物に見えちゃってた…。
そういう時期が僕にはある。
いや、しばらくはそういうもんだと思ってたせいで、ビックマウスな人や、説教臭い人を見かけても僕は危険を感じ取ることができず、
「人前で、こんなに自信満々に話ができるんだから、この人はきっとすごい人なのだ」
と思う変な癖がついてた。
今思えば、「日本で最もイキってる人選手権」に出しても全国区の実力は叩き出すであろう爆弾発言だと思うんだけど…ぼくの母はそういう人だった。
「そんなに、スピリチュアルな母親な(というか、【スピってる】)のに、怪しい宗教にハマらなかったんですか?むしろ、青二才さんは何かしらの宗教に帰依してないですか?」
と言われそうだけど…母はねぇ、オーラの泉大好きでしたよ。
母はね、まともな宗教できるほど頭良くないよ。
ぼくは…一人暮らししてる話半分にエホバの証人の良くしてくれるおじさんとしょっちゅうお茶飲んでた。
別の親戚がエホバの証人だった関係で、エホバの証人の人がどういうことやってるかは興味があるので話聞いてたけど…宗教って繊細なんだよ。
特にキリスト教の場合、宗教との距離感の違い・聖書に対する解釈が違うことで、宗派が違うから…ちゃんと聖書に対して勉強しようとするか、村社会的なコミュニティに耐性がある人かでないと…そもそもキリスト教向いてないんだよ。
カトリック・プロテスタント・エホバの証人問わず。
それどころか、世の中ではカルト呼ばわりされがちな、創価学会や幸福の科学、あとはオウム真理教辺りも、「他の宗教との位置関係」が存在するため、あんまり頭が悪いと響かないようにできてる。
マスコミでは踊り念仏みたいなところしか流されてないオウム真理教でさえ、オウムの教えを紹介するビデオでは、
「ハルマゲドンについての予言が日本語に訳す過程で、間違った訳され方をしてる」
という、宗教団体っぽい論争を数十分載せている。
だから、宗教の中でも、トラディショナルな宗教や、神学的論争をしようとしてる宗教にはある程度頭がいい人しかハマれないようにできてる。(だから、オウム真理教の信者は理系オタクと、熱心にヨガに打ち込む女性がメインだったわけで…。)
下手に頭がいい人のほうが年取ってから急激に電波になったり、若い時に怪しい活動をしてやんちゃするのはそういう理由。
その点、母は…スピってるにはスピってるけど、別に神やハルマゲドンを信じてるわけではなく、それどころか唯我独尊だから、他の神を崇めるような宗教にはハマらなかった。
その代わりに、やれお告げだ、やれ前世だというスピリチュアルな事を言う番組や、そういうお涙頂戴は大好きという俗物極まりない趣味をしてた。
…自分で言うのもなんだけど、僕が中学高校から英才教育を受けてる「純粋培養されたインテリ」と話が微妙に噛み合わないのは、受けてきた教育が平均的でかつ粗悪すぎるから。
僕がいう「純粋培養されたインテリ」って、県下上位の中高一貫レベルなので、そんな教育受けてるやつの方が日本には少ないけど…僕の周りにはそういう人が多いから、話が合わないのが地味にコンプレックス。(発達障害持ちの僕が平均の教育だけで渡っていくのホンマしんどいので)
食べ物とか、習い事とかは育ちがよくしてもらった方なので感謝してるけど…本人が
「家庭が豊富人(豊婦人?)」というスローガンを掲げてるように、トレンディードラマのように生きたいと思ってやってきた結果だからねぇ~。
トレンディードラマ嫌いを僕は、「純粋培養されたインテリ」であるきみたりさんには理解してもらなかったけど…バカがトレンディードラマの真似事で子育てしたら、自分のことを神だと勘違いしながら、朝食で子どもに説法を始めるってことを僕は知ってたからなわけ。(親戚の証言によると母は元々おとなしい人だったらしいが、大人になって色々あって人が変わってしまったそうな)
大事に育てられればいいってもんじゃないのよ。(大事に育ててくれたのは認めてる)
エゴと愛情の区別もつかない人の愛情は宗教や暴力や洗脳と変わらないんだから。
母氏、夫婦で母が生まれた病院へ行く
転勤族だった家族が転々とした結果、僕が17の頃に母が生まれた場所まで行ける場所に住むことになった。
その日、僕は土曜日だったから学校に行ってたんだけど、学校から買えると父がげっそりしながら、その「母が生まれた病院」に行った話をしてくれた。
父の話によると、母は「肩で風を切る」ように早歩きになって、
「聖地、聖地!!!」
とものすごい迫力で興奮気味に、病院を目指したそうだ。
僕は、生まれた場所が親戚の家の近くの病院だったので、さんざっぱら通っているからそこまでありがたみがわからないし、そもそも自分が生まれた病院にもう一度行ってみたい人がどの程度いるのかを知らない。
ただ、母にとっては自分が生まれた病院が未だにあることは、肩で風を切って「聖地だ」と言いながら突き進んでいくだけの価値がある場所なんだそうだ。
…いや、僕だって、阪急電車やJRに乗って神戸に帰った時、神戸にしかない風景が出てきた時に涙がこみ上げてきたから、
「人間、誰にでも、思い出の場所はあるよね」
って言う気持ちはわかってるつもりだ。
でも、記憶にもないし、風光明媚なわけでもない首都圏の大病院を自分が生まれたからといって、聖地だとも思わなきゃ、肩で風を切って早歩きで見に行きたいとも思わない。
よしんばそうだったとしても、配偶者を連れてそんなところに行くのが面白いか考えたら…そうじゃないと思う。
ちなみに、僕が生まれた病院の近くは割と風光明媚で、親戚の家と繁華街を結ぶ道が独特だから、そこは配偶者や友達と行ってもきっと楽しんでもらえると思う。
…でも、さすがにそれが聖地かと言われたら…ねぇ~。
一般的にはトレンディードラマに出てきそうな幸せな家庭よ?
でも、トレンディードラマな自分に酔ってる人間は自分のことを神か偉人だと思うし、トレンディードラマに出てくる子役に程遠い発達障害持ちの僕は、トレンディードラマ的な教育がむしろ暴力的でしかない(むしろ、中学から2ちゃんねるをみたり、深夜アニメみたりできる家で育ちたかった)わけ。
善悪の話じゃなく向き不向きの話。
自分のこと神か偉人だと思ってる人間、僕には向いてなかった。