ミサワブラック!!

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杉田水脈のいう生産性って、「子ども育てるために消費しやがれ」ってことでしょ

最近、はてなブログ界隈を賑わせている

「杉田水脈が、LGBTの支援なんていらないと言って、そこに自民党議員が呼応しているなんて何事だ!!」

的な問題だけど…ぼくは、「あー言い方の問題やなぁ」と思ってしまった。

 

というのもね、杉田水脈の言ってることって、そこまで的外れでもないわけ。
中にはスットンキョウなところもあるけど…余計なことをあれこれ言い過ぎたがために、本旨からぶれてることを叩かれているようにしか思えない。

 

「LGBTに生産性がない」の真意

子どもって、近代以降は「出費としがらみの塊」なんだよ。

 

近代以前ならば、子どもは労働力だったから、頼まなくても子どもを産んで働かせていたけど、子どもに教育を受ける権利が保証された。
さらに、働くこと自体にも大昔のように雑に働かせることができず、たくさんの手続きと保障すべき賃金と人権が増えてからは…子どものうちの子どもは「養うもの」にしかならなくなったんだよ。

 

「LGBTは生産性がない」というのは、「出費の塊としてのこども」を作らないからなわけ。

 

出費やしがらみに自分から飛び込む人に対して金銭的社会的な見返りを与える…という意味で婚姻があるのに、それを最初から子どもを産む可能性のない人たちにまでそれを与えるの?…という意味で、考えたらそこまで間違った発言ではないのよね。

 

「その言い分なら、異性愛で子ども作れない人だっている。EDの人とか、子ども作る気がない人にも婚姻することで得られる社会的経済的な利点を排除すべきでは?」

それがそうとも言えないのよねぇ〜
若い夫婦で子どもを産めない場合、色んな医療行為(不妊治療とか人工授精とか)が発生しうるわけだから…消費やしがらみをうまないとも言い切れない。

同じ理由で、「子どもを産む気のない異性同士の結婚」も気が変わるかもしれないから、特典を与える必要は出てくる。
ゲスな話、男と女なんてずっと一緒にいれば、やることやるし。

 

実際問題、籍を入れるだけではつかないオプションもいっぱいあるし。

 

これがLGBTとなると…将来的な事を考えて、徐々に結婚の特典を与えていく必要があるかというと…という問題に聞こえるんだけどね。

 

だから「生産性がないとはなにごとだ」みたいな言い分よりかは、
「別のフォーマットで、籍を入れてもいい法律・新しい規格を作れないんですか?」
ぐらいにしないと…難しいように思うのよね。

 

LGBTの人同士の内縁関係とかは本当にあってもいいと思うけど…

「何年も一緒に支え合ってる(養ってる)人は、交際することで色んな消費が生まれてるんだから内縁ぐらい認めてもいいのでは?」
ぐらいの言い方のほうが、支持が得やすいと思うのよね…。

 

実際問題、内縁って、3年間同じ家・財布で過ごすと認められるんだけど…そういうのでもないと…同性の場合、一緒に居続ける理由や、これからも一緒に居続ける証・根拠って何?

ってわけよ。

同性だって、スピード婚・スピード離婚 する人はいるけどさ。

 

 

 

同時に、男女じゃなくとも、一緒に住み続けているなら、それは支え合ってるとか、交際が続いてると言って差し支えないんだから、LGBTでも関係なく何らかの見返りや特典があってもいい。

という議論に発展していくなら面白いと思う。

 

ただ…

「LGBTを認めるのが時代の流れだから結婚できるようにしろ」

みたいになりすぎてて、それをいきなり議論され尽くして作られた法律の中に組み込めと言われても

「一時期のブームか、普遍的なものかわかんないし、認めたところでなにかそのために議論したり手続きした分のコストに見合うことがあるんですか?」

という話でもあるわけで…。

 

 

良くも悪くも、国の法律って、税金が絡むから、前時代的で後手後手になるんだよ。
だから、ビジネスであれ、ライフスタイルであれ、働き方であれ、先駆者は損なのよ。
損でもやりたい人、損でも根付かせて変えていく人はいるけど…先駆者なくして成り立たないうちは大きな権力のちからで保護したり、もり立てたりできないんだよ。

 

そのへんのところを考えたら「政治家として、公人としては妥当な言い分」なのかな…とぼくはけっこう思ってる。

 

ただ、システム論・手続き論・損得論を一切無視して
「権利だ権利だ」
とうるさい人は…権利が空から降ってくるとでも思ってんのかな?という気持ちはすご~くある。

 

政治の議論に参加したくないのは、そういう人が賛成反対だとか、感情に訴えるだとか、目の前のことよりも決定力もないくせに大きな権力にデモやヘイトや不支持を並べ立てたり…そういうことでどうにかなると思ってる人が多すぎるところ。

 

「国民一人ひとりが有権者で、日本の政治に参加してる」
のは間違いないけど、
「何万分・何千万分の一票しか持ってない」
のもまた事実じゃん?

 

ましてや、
「これをやるべきだ、考えるのは政治家や官僚の仕事だ。気に入らなかったら、省庁の前で大声あげて練り歩くぞ」
「テレビで切り取られた情報であっても、みんなを不快にしたり、怪しいと思わせたりしたら、とにかく謝罪しろ」
がまかり通ると思ってるのはタダのクレーマーだし、そんな人の言うことをいちいち税金使って政治に投影してたら大変なことになるよね??

 

なんでそんなふうに考えないのかが逆にわからない。
それどころか、メディアやネットがクレーマー的な人を増長させてるから、中間的な面白い提案が出る前に「炎上したから悪い」みたいなところで議論が止まっちゃうことが多すぎて「あー人類ってダメだな」ぐらいの気持ちにしかならない。

 

 

だから政治の話や、ネット論壇で盛り上がってるような話は、本家のブログと分けてこういう物好きしか読まないサブブログに書いているんだけどね。