自分の想像力に他人を押し込めようとする人って、一銭の足しにもならないから見捨てられるべき
「青二才でいたかった」というブログをGoogle検索すると、
「三沢文也 2ch」とか
「三沢文也 大学」とか
そういう関連ワードが並ぶことを、今日はじめて知った。
ぼくの感想は2つあって、1つは
「そんなこと検索した人は、情報の海から何を見つけたいんだろう?」
という検索した人の心理状態についての疑問が1点。
知りたいんじゃないんだろ?自分の想像力に見合った結果を見つけたいんだろ?
調べたいとか、検証したいとかじゃないんだよ…見つけたいんだよ。
考えてもみなよ!
ぼくが2ちゃんねるでなんと言われようが、ぼくが10年前にどこの大学に合格していようが、その人はもちろん今のぼくには何も関係ないじゃん!
ましてや、そんなこといちいちググらなくても、ぼくが頭いいかどうかなんて、ぼくの記事・言葉遣い・目線を見てもらったら、わかることじゃん?
ぼくが東大出てたら頭いいと思われるのは頭の良さかい?
しょぼすぎて一部の界隈にしか知られてないような私大出てたら、それでアホ?
そんなもん捉え方次第でどうとでもできるやん…。
東大出てても、こんなお金の儲からない・人類のためにもならないことをやってたら逆にしょぼいじゃん?
しょぼい私大出ても、高学歴な人が多いライターやITの世界で知られてるなら、それって私大出てるショボさを帳消しまたはギャップにできるぐらいがんばっとるやん1
…残念ながらしょぼい私大出て、どこにも属してない中で記事を書いて、記事一発で勝負しとるから、ぼくは「しょぼいなりにがんばっとる」「虐げられてるなりに戦ってる」つもりなんだけどさ…。
でも、「三沢さんってしょぼい大学出たなりに、ブログ書くために勉強してがんばってるよね/色んなすごい人に言及されてるよね」と言ってくれるために検索している人なんて、残念ながらいないのよ。
これ「しょぼい大学を出たお前が悪い」って、いう話じゃないの。
いい大学出てたって「〇〇のくせにそんなこともわからんのか」って叩く程度のヤツが、2ちゃんねるでの評判を検索したり、どこの大学出たか検索するわけ。
結局、叩くための行動でしかないわけ。
悪意をむき出しにして、Googleにワードを打ち付けた人達が、俺にそういうワードを見せたわけ。
ぼくの記事を叩きたいなら読み込んで丁寧に批判したらいいし、
読み込んで「こうこうこういうところが気に入らない」と言っていけばいい。
ところがぼくを正面から批判する人って少数派。
多数派は、2ちゃんねるで俺が叩かれてるのを見て満足したり、しょぼい大学がどこなのかを検索して「あー三沢くんより高学歴だから俺のほうが偉い」みたいにほくそ笑む。
ぼくは少数派の批判が見当違いじゃない限りは、根気強く聞こうとしてる。
だから、ぼくの読者であれ教え子であれ、ぼくに近しい人は「青二才さん、それは違いますよ」ってキチッと言ってくれるし、そういう人のことは大事にしてる。
愛がない・話を聞く気もない人が、ぼくのことをテメーの想像力に勝手に落とし込んで勝手に批判しとる。
それは「俺」じゃないよ?
「お前が決めつけてる俺」だよ!
そんなの決めて、何を満足してる?
いい記事作って欲しいなら、どんどん俺に意見をいうなり、知恵を貸すなりメシをおごってめし屋の感想書かせればいい!!ぼくのこと応援してる人はみんなそうやってくれてる。
ぼくはそういう人をできるだけ見捨てないで頑張ってきたから、ぼくより高学歴な人・社会的に成功してる人が読んでも「面白いじゃないか!」と言ってもらえる記事がかけてる。
デブだけどモテてたり、デブで貧乏なのに会った人が「いい人だよ」って交流を続けてくれてる。
ぼくはいつも言ってる。
「悪口は、2ちゃんねるにどうぞ。Twitterでぼくに悪口書いて見つけたら、ブロックかミュートかリプライ送るからそのつもりでどうぞ。見ないところで言われる陰口はどうぞご勝手に」
っていつも言ってる。
ぼくはみんなに愛されるキャラじゃないことはもう自分でよくわかってる。
だから、ぼくに悪口言いたい人がいることはしょうがないと思う。
ただ、ぼくの言うなら批判される覚悟を持つか、絶対にぼくが見ないところで勝手にやってくれ…って言ってる。
叩かれる言い方すると、それが俺なりの「やさしさ」だね…。
だって、ぼくに面と向かってなにか言いたい人は、やっぱり対等に接して行きたいし、逆にただただぼくを叩きたいだけなら、ぼくが絶対見ないところで好き勝手言えばいい。
三沢の低学歴、
三沢のデブニート、
三沢の皮被り、
…どうぞどうぞって思ってる。
たださぁ…そういうのをわざわざ検索してまで探したがる人のことがぼくのブログを検索した時に一緒に出てくるのは…なんか違うよなぁ~って思う。
ブログ読みたい人にとっては、ぼく以外の評価なんてノイズだし、よしんば出すにしても記事の反応とかだろう…。
そういう意味で、Googleがぼくの炎上を助長しているように思えてしょうがない。
悪意がある検索ワードをわざわざ表示するの、ホンマに無意味だと思うから、やめてもらいたいわ。
Googleは炎上を助長するようなワードを切るべき
「ネットはバカと暇人のもの」
と言った人がいるけど…その理論で行くと「バカで暇な人こそが、ヘイトやあら探しを必死に検索しているため、検索数が多かったとしても、そういうワードはわざわざ関連ワードとして表示すべきではない」と、心底思う。
「お前が2ちゃんねるで書かれてる悪口を検索されてるからって、わざわざGoogleにキレるな!日頃の行いを悔い改めたらいい」
と思うかもしれない。
でも、これはGoogleのためにも言ってる。
うさ晴らしのために検索している人に最適化(アジャスト)するのは、果たしてGoogleにとってビジネスライクだろうか?
バカで暇な人は、表示される広告にお金を使うのだろうか?
悪口を検索して自己満足に浸りたい、脳内マスタベーションくんは、自分のため・世の中のためにお金をつかうのだろうか?
そう考えたら、「○○ 2ch」とか、「○○ 大学」とか…ああいうワードってGoogleにとってもただただトラブルを生むだけだし、一銭の足しにもならないから、やめたほうがいいと思う。
これ、ぼくが「ミサワブラック」というブログを切り分けた理由でもあるんだけど…人の悪口でバズってもお金なんか儲からないんですよ…。
お金儲けに使えることって、ビジネス上の情報や考え方、スポーツや趣味の情報、筋トレやうつなどの健康など病気についての情報…そういう「困ってることを解決する」「テーマについて考えるために検索している人」なわけ。
だから、お金にならない記事…鬱憤を晴らすために書いているような記事は、サイト運営をビジネスライクに考えるなら、切り分けてしまったほうがいい。
注目は集めるかもしれないから「知名度用に」「備忘録用に」書くのはありかもしれないけど、そういう記事をお金儲けもしたいブログにセットで書くのは本当に良くない。
「ブログの話でしょ!Googleのアドワーズの経験ではないでしょ!」
いやいや、ブログにAdSenseを表示している場合、AdWordsと単価やクリック率についての考える時には同じですから!!
すごくアレな言い方かもしれないけど…貧乏人・中流止まりのゴミクズは時間を無駄にするようなことばっかりする。
「バカ=貧乏」なわけじゃなく、「バカでネガティブで不毛な時間の使い方をするやつはお金持ちになりようがない」わけ。
バカでも「どうでもいいことに時間を使わない」「ポジティブだから、楽しく自己投資してる人」は、資本主義を生き抜く上でチャンスを拾い上げたり、自分の所得の中で楽しく生きるすべを見つける。
ネガティブでも頭のいい人なら、不毛は不毛でも学問や創作に時間を使ったり、神経質な部分を趣味や仕事に出す。
ネットに悪口を検索するようなことに使わない。
つまり、Googleに出てくる関連ワード次第では、ぼくが誰かの悩みを解決する方にリードできる可能性だってあるわけ。
ぼくに限らず、もっと色んな人の炎上を回避したり、いいところを他人に紹介することがGoogleにはできるはずなわけ。
そう考えると、Googleは相変わらず世界をアップデートできる存在でもあるし、ヘイトや炎上、ひどい場合は差別すらも助長することさえあるわけ。
何が言いたいかと言うと…GoogleはAIにもっと人間の悪意や愚かさを敏感に気づくように作り込んでほしいって話。
人々が、FacebookやInstagramに行くのは、悪意のある人や自分が見ない人を表示しないようにうまくすみわけられたからわけ。(代わりに、Facebookでは世直しは起きないし、ヘイトや差別を消し切るのは難しいけどね)
ぼくはGoogleさんにお世話になってるから応援しているよ?
でも、応援しているからこそ「もっとできるはず」「他のサービスの優れてる部分はもっと取り入れられるはず」「Googleこそが世界をよくできるけど、わるくもできる」と言ってるわけ。
言ってることがわかる人、または読み込んだ上で議論する気のある人に伝わればいいよ。
叩きたいという結論だけが先行している人は一生2ちゃんねるで、シコってたら?
ちなみに、序盤で引用したマンガのコマはこの作品から取ってます。
鬱屈した感情の渦に触れたい人は、この漫画でも取ればいいよ。なかなかめんどくさいから。