新橋九段くんとの後日談
前回、友人から紹介されたラノベについて、酷評した。
黒歴史なラノベをまともにするために、黒歴史ラノベを本気で考える(新橋九段編) - ミサワブラック!!
すると、本人から、こんなリアクションが来た。
「アイツ俺に惚れてるぜ」的な勘違いされた美女の気分がわかるお返事
このブログ書いた人俺のラノベに親でも殺されたんか。 https://t.co/wvyesnxlNL
— 新橋九段 (@kudan9) 2018年2月4日
君の文章が、親を殺す力があると思ってんの?
あの、電車から降りてから駅があってるかを確認する主人公が出てくるライトノベルを書くような文章力で、俺の親が死ぬと思ってんの?
父はキレ者の理系人で、母は「芥川賞全部読め」と俺に言いながら芥川賞全部読んでて俺なんかよりも読書についてはずっと造形が深いぞ?
お前の文章を両親に持っていっても、赤字添削入るのがオチやぞ?
特に俺のオカンの添削は厳しいし、子ども相手でも「そんなことも分かんないの!?」とか平気でキレてくるけど…お前ごときが耐えられると思ってんの?
たまにTwitterでも「長文の批判コメを送られて筆を折る創作者」の話を見聞きして、その時は「メンタル豆腐かよ」とか思ってはいたんだけど、いざ自分がやられると多少はその気持ちがわかる気がする。そのコメに価値はなくとも心理的にネガティブな影響は免れないし、繰り返されたら嫌にもなろう。
— 新橋九段 (@kudan9) 2018年2月4日
え?
僕は7年もアンチが付きまくってる状態で活動してるんだけど。
しかも、俺の炎上デビューは會川昇とゆうきまさみから罵倒されるという壮絶なデビューで、毎日のように匿名ダイアリーで悪口書かれてたけど…まさか俺一人に、小説の書き出しがつまんないと怒られただけで心折れちゃってるの!?
辞めちまえよ、そんな豆腐メンタルなら!!
俺はお前の1万倍は悪口書かれてるけど、生き残ってんだよ!ボケ!!!
まあそこのところ俺は心理学者なので(謎理論)「筆なんか折りませーんべろべろばーwww」ってできるけど心が弱い人は本当に折りかねないので少なくとも技巧面で人を馬鹿にするのはやめよう、別にやったことないけどと心に決めるのであった。
— 新橋九段 (@kudan9) 2018年2月4日
自称心理学者!?
内容も、構成もテンプレそのものの無個性な動画シリーズが、ニコニコ動画という場所のお陰でウケて天狗になってるだけじゃん!?
参照:えーき様の3分犯罪解説とは (エーキサマノサンンフンハンザイカイセツとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
単にわかりやすくまとまってることがウケただけなのに、ブログや小説で「自分の意見が認められた」と錯覚して、したり顔で色々垂れ流してるクズが何言ってんだ!?
その証拠にニコニコ百科事典では「ブログ見たけど引きました」ってコメントで埋まっとるやんけ…。
心が弱い人は本当に折りかねないので少なくとも技巧面で人を馬鹿にするのはやめよう
え?君が技巧面で誰かの心を折るほどの批評書けると思ってんの?
そもそも、僕はバカにするだけじゃなくて
「本来なら、こうするのがわかりやすい」
「日常シーンの目的はこうだから、キャラクターをこう見せたいならこういうふうにエピソードを差し込んだほうが伝わるのでは?」
という検証や解説なんだけど…バカにしてるように見えたの?
まともに読めない文章を書いてることに怒ってるんやで?
人格否定的なところはほぼなかったはずだけど…「バカにしているように」みえたの?
意図的かつ皮肉を込めて「これで国語を教えている塾講師だなんて」と言ったけど、そこ以外は全部テクニカルの話ししかしてないよ?ぼく。
新橋くん、我慢できずに筆を執って僕に反論してくる。
カクヨムのノートに、僕への決死の反論を書いてきた。
どこかのブロガーに作品をぼろくそに言われたという話/新橋九段の近況ノート - カクヨム
ボロクソ!?愛をこめて丁寧に「テクニカル的に変えた方が良いところ」を言ってるんだけどなぁ~。
普段なら金とってんだよ!?
それを友人が数ヶ月お昼ごはんやら、交通費やら色々おごってくれて、そのお金で新橋くんの小説にメスを入れてるわけ。
むしろ、友人(ファン)が代わりに僕にお金を出して「やってください」とのことだったからやったわけ。
人のブログ見て、直したり、助言してお金もらってる僕が、本人負担0で見てやってんだから、僕と友人に感謝すべきだよ?謙虚さ、足りないんじゃない。
三沢文也なる文章表現能力に自信ニキの目に留まってブログへぼろくそに書かれました。
文章に自信ニキって、なんですか?
って思ったら、彼のTwitterにこんなこと書いてありました。
ところで自信満々に特定の専門知識や技術について得意げに語る人を「○○に自信ニキ」と表現すると途端にしょぼくなるのでお勧めですね。ネットは煽り文句の収集だけには異常に役立つ。
— 新橋九段 (@kudan9) 2018年2月4日
え?
自信満々じゃなくて、僕はブログで書こうが、Togetterで書こうが、君の小説の100倍・1000倍…文章でありながら、君の動画ぐらいは平気でバズれるんだけど。
この間も、1日で1万PV見られるブログ記事を作ってサーバーがダウンしたんだけど…君は動画で1日1万回再生やったことあるの?ないよね?
君こそ、心理学に自信ニキじゃんww
学位とか資格持ってるの?
それとも書いたものが一瞬で大きくバズった実績でもあるの?
相談に訪れた人をアドバイスして立ち直った実績は?
僕は自信があるとかじゃなくて実績があるの。
レッテル貼りでしょぼく言われても、事実は揺るがないの。
地球がひっくり返ろうが、アンチが僕にあれこれ言おうが、僕が過去にやってきた数字や掲載実績は覆らない!それでもぼくが勝手に自信持ってるだけだとお思いですか?
まぁブログで指摘されいる駅から始まる出だしは表現としてかなり拙いのは確かですし、
認めとるやん!!
ぼくは、あの記事の7割はその話しかしてないから、7割は正しいってことじゃん!!
だったら、残りの3割に噛み付いてるってことになるわけだけど…それもう、重箱の隅じゃん!!
70%正しいなら、大抵のテストは合格するから残り間違っててもいいじゃん!!
私は「リアリティがない」という批判に対し「えー」という程度の愚痴を述べただけに過ぎない。
えー程度で、
半額弁当を殴り合いで奪い合うラノベとか、テストの点で強くなる召喚獣が普通に存在するラノベで育ってきたこっちとしては戸惑うばかり。それにそれなら異世界に転生するのはリアリティがあるのかよと不服な気もしますが、どうなんでしょうか。
逆に言えば舞台設定を異世界へ飛ばしてしまうことのメリットはまさにここなのかもしれません。「この学園はギャンブルで揉め事を解決する!」といっても「はぁ?」となる人は多いと思いますが、「俺が転生した先はギャンブルですべての物事を解決する異世界だった……」なら「そんなもんか」と思う人が大多数なのでしょうね。
やっぱり理不尽な気もする!
↑こんなにグズグズ言ってるの!?
しかも、「えー」程度なのに「理不尽な気もする」って…。
理不尽って軽い愚痴に出てくるほど軽い言葉で、軽い仕打ちなのか…?
この人、文章力が稚拙すぎて、文章読んでも感情の濃淡がわかんねー。
適切に日本語使ってたら、こうはならないだろ…。
小説のクオリティの高低は結局のところ結果論で、今回は推敲が足りませんでしたねという話。
推敲が足りない!?
あたかもちょっとした誤字脱字みたいに言うなよ!!
冒頭から日本語がおかしい小説書いておいて、「クオリティは結果論」で、「推敲が足りませんでしたね」だと!?
そんな軽い気持ちで書いたもんを、仕事とは言え全部読まないといけない相手に同じこと言えるの!?
いや、仕事の人は金もらってるんだから、まだマシ。
問題は好き好んで読んだ人だよ!!
期待して読者が、つまんない・読みにくいと言ってきた読者に「クオリティは結果論」と返すの!?意識低すぎないか!?
俺への悪口だと思って返すな!
カクヨムで誰でも読めるようにしてるからには「読者が読んでも恥ずかしくない言い訳」しないと、ほんまにダサいのが未来永劫残るぞ?!
作品というのは結局のところどれだけ大勢に見てもらって評価してもらうかが重要なので、私は「未完成かな」と思ってもじゃんじゃん応募すればいいと思いますよ。
その論法だったら、ぼくが君の小説に言及して小説を読んだ人が、それ以前から倍増したんだから、ぼくは「大勢に見てもらって評価してもらうか」に貢献したわけだよね?
ぼくの読者の人もいっぱい見たよ。
でも、新橋くんの小説を擁護する人はほぼいなかった。
特にギャンブル学園を擁護した人は誰もいなかった。
作家の方もぼくの記事に言及したから、君の作品を読んだ人の中には著名人だっていたかもしれない。
でも、君は「クオリティは結果論」とか言っちゃうわけ?
読者軽視も甚だしいわ。
僕は「悩むくらいなら送っちまえーうひゃひゃひゃひゃ!」というタイプなのであんまり推敲をしない。
推敲しない小説いくら読んでも、うまくなんないよ…。
「文章っていうのは書いた数ではなく、推敲した数でうまくなるもの」
とぼくは先輩ブロガーに聞いてから、できるだけやるようにした。そうするとまともに評価される記事・読者が増えた。
ぼくも元々は一筆書きするタイプだから、こういうどうでもいい記事は特に推敲しないけど…さすがに、新人賞出すのに推敲しないのは、読んでくれる人のこと何も考えてないわ。
新橋くんの話なんてみんなどうでもいいと思ってるだろう(し、僕自身お金儲けにもならないし、読者の人生を豊かにするわけでもない)から、手を抜いて書いてるよ?
でも、本当に人のため、自分のためになり得る記事は本気で書く。
小説の新人賞なんてちゃんとがんばれば、実績にもなるし、デビューだってあるんだから「自分のためになりうる文章」だよね?
そこで本気出さないだけじゃなくて、「クオリティは結果論」という謎の迷言で取り繕う。…わけわからん。
ちなみに、「クオリティは結果論」というすごい意識の低いこと言ってる彼はこんなこと書いてる。
しかしギャンブル学園、あんまり言われたままだと可愛そうなのであとでおまけ程度の短編を書いてあげよう。
— 新橋九段 (@kudan9) 2018年2月4日
ゴミにおまけ付けたって、誰も喜ばないので、ゴミみたいなクオリティの小説をきちっと推敲しましょ。
改訂した方がちゃんと供養になるんだから。
3.受験国語と創作で必要な技術力は違う
なんかブログの最後で私が塾講師であることにひどく驚かれました。三沢某としては「お、これも叩きに使えるやんけ!」程度のあれだったかもしれませんが、ここで氏が少なくとも読解に関してはまともな定見を持てていないことが露呈して九段さんも思わず笑顔です。
違うよ。
「ぼくは塾講師のバイトで」的にドヤ顔して、文章の良し悪しを語ってる記事をブログで書いてたから「こんなにドヤ顔で文章を批評してた彼の文章力が、小説の1話の最初の4行でずっこけるレベルって酷くない?」って言ってるんやで??
日本人の読解力がないのは現代文の試験問題の文章が悪いせいだという戯言を本気で考えてみる : 九段新報
ドヤ顔っぷりを少し引用しとくと。
一般的にセンター入試現代文の平均点は6割程度らしいです。裏を返せばあんなロジカルな入試問題をみんなは4割も落とす、それ以上に落とす人も相当数いるということでもありこれは非常に恐ろしいことです。
え?センターを検定試験や、小テストと混同してないですか?
センターはふるいにかける試験だから、平均点が6割になるぐらいの難易度で作ってるんです。
あのテストができない人がいるのは恐ろしいことじゃなくて、そういうふうに作ってあるんです。(しかも、単純な読解力の問題だけではなく、テストを解く技術が問われるようにしてね。)
…もうこの時点で、こいつが塾講師やってるの、色々おかしい。
平均の意味もわかってないし、入試という状況を配慮してないし…。
「自分が得意なこと・わかることだからみんなができて当然」程度のマウント取ってくるやつが塾講師とか…もう色々ダメでしょ。勉強嫌いの子をますます勉強嫌いにする危険があるから、雇ってる会社は早くクビにした方がいいわ…。
おまけ
親切な紳士に三沢某が書いた小説に関して俺に言ったこと以上にぼろクソに言われているはてぶを教えてもらい腹を抱えて笑っている。俺みたいな無名の元にまでこういう人がさっそうと現れるあたり元来敵を作りやすい人物だったのだろう。
— 新橋九段 (@kudan9) 2018年2月4日
ぼくが6年前にした失敗や黒歴史を見つけて、腹抱えて笑ったそうです。
6年もすると、けっこうな犯罪でも時効になるから、6年たってもなお、そのことでなじる人を見かけると、それこそ本当に「俺は人でも殺したのか…」という気持ちになります。
ちなみに、時効7年の犯罪は窃盗や詐欺なので、来年も昔書いた小説のことで悪口を言われたら、ぼくは「俺の黒歴史、窃盗や詐欺よりも罪が重いのか…」と呆れます。
ちなみに、5年で時効を迎える罪が、「未成年略奪罪(誘拐)」とか、「アヘン煙輸入罪」とかなので、「俺の黒歴史、誘拐とかあへんの輸入より重いのか…」と呆れてます。
忘れられる権利か、カジュアルに裁判できる手続きがもっと浸透して欲しいものです。
黒歴史なラノベをまともにするために、黒歴史ラノベを本気で考える(新橋九段編)
青二才さん、ドヘタな小説を添削する
友人から、「文章が驚くレベルで下手な人がいる」と言われて、カクヨムの小説を読まされた。
ギャンブル学園 確定少年と薄幸少女(新橋九段) - カクヨム
本来ならお金をもらってやる文章添削を、僕は(彼に色々とおごってもらってるのもあって)彼の前でやることになった。
下手なところを全部指摘してるといじめみたいだから、この小説の1話の書き出しを例に説明する。
電車から降り、駅名に間違いがないか確認する。階段を上り、降りて出口まで向かう。改札機にICカードをかざし、通り抜ける。駅舎から出ると、雲一つない青空が僕を出迎えた。無事何事もなく目的地に着いたことを実感し、僕は安堵の息を吐いた。
面白いかつまんないかの前に一言言わせて。
電車から降り、駅名に間違いがないか確認する。
いや、降りる前に(アナウンスとか、電車内の電光パネルとかで)確認しないとアウトでしょ!
なんで、電車から降りてから目的地かどうか確認するんだよ!!
階段を上り、降りて出口まで向かう。
「上り、降りて」ってどっちよ?
「上がった後に、次の階段を降りて」とか、「連絡通路を渡って」とか、「地下通路へ下り、改札階へまた上がり」とかいくらでももっとわかりやすい描写方法があるだろ!
駅舎から出ると、雲一つない青空が僕を出迎えた。無事何事もなく目的地に着いたことを実感し、僕は安堵の息を吐いた。
小学生かよ!!(※人物の設定は高校生1年です)
駅から出ていちいち安堵するほど、電車に乗り慣れてないのもそうだし、改札出るまでその駅に来たという安心感が得られないのもおかしいだろ!!
しかも、この後の文章を読むとただ学校の最寄り駅に着いただけで、目的地は学校なので、日本語的には正しくない。
目的地という日本語の使い方もおかしいし、最寄り駅に着いて安堵するのも心理描写としておかしいでしょ。
初めての通学という設定らしいので、「まずは一安心」とか「学校を目指して歩を進める」みたいな描写があることはわかる。
でも、【目的地についた】と解釈しちゃうから、この日本語すげーおかしいんだよ。
冒頭の100文字程度の文章で、4か所も日本語としておかしい・前後の文脈が成り立たないところがある。
面白いかつまんないか以前に、もうおかしいんだよ…。
そして、何が悲しいかというと…この文章はただ通学風景。
…引用した部分に限って言えば、電車から降りて駅の構外に出るだけだから、小説としての技術以前に「正しい日本語で私生活や、それぐらい身近な日常を書くこともできない」というところがもうおかしいんだよ。
そして何より…もう冒頭の時点で退屈。
確かに、小説の冒頭シーンは「日常のリズム感を作ることが大事」という人はいる。
でも、それはそのキャラクターの個性や、癖を描写するシーンでないと、キャラクターの日常と生活感・リズム感は伝わらないんだけど…キャラの日常や心理描写を投影するシーンとして、「電車から降りて改札出るまで」を描写するのはあまりいい手じゃないんだよ。
もしもだよ?
電車から降り、駅名に間違いがないか確認する。
というシーンで主人公の几帳面さや、慎重さを現したいなら、
・「家の鍵をかける時に鍵をかけた後に引いて確認する」とか、
・「学校について今日の時間割を確認する」とか、(誰かに時間割や宿題について聞かれて、答えるとか)
・同じ通学シーンでも「人に道を聞かれて、覚えきれないほど丁寧な説明をして【真面目だね】とか誰かに突っ込ませる」とか…
いくらでももっとあるわけ。いくらだってあるわけ。
だから、冒頭文として面白くないし、センスを感じないわけ。
ちなみに、1話のほとんどを、冗長なまでの私生活描写に使っているので、僕は伝説のクソ曲「FRIDAY」を思い出した。
歌詞の日本語訳はこんな感じ。(冒頭だけ日本語訳したサイトから抜粋)
午前7時、朝起きて
元気に行かなきゃ、階段降りて
ボウル持って、シリアル食べなきゃ
全部見てると、時間が過ぎてく
ドンドン動いて、みんな急いでる
バス停に行かなきゃ
バス捕まえて、友達に会うの
前の座席に座ろうかな
後ろの座席に座ろうかな
心を決めなきゃ
私どの席に座れる?
どーでもいいわ!!
お前がどの座席に座ろうとどーでもいいわ!
正直、新橋九段さんの小説、FRIDAYと同レベルにつまんない。
いや、FRIDAYの方がまだわかりやすい分、評価のしようがあるけど…日本語が間違ってるからなぁ…これ。
何が怖いかというと、クソ文書いてる本人が自信満々なところ
ちょっと読めば表現のおかしさに気づくであろうダメ小説。
でも、この人はなぜかそれをライトノベル新人賞に送りつけた。
…悪文やダメ小説を書いちゃうのは、ある程度熱心なオタクなら誰でも通る道だから…僕もやったことあるし、ネタ提供してくれた友人もやったことはある。
…だから、気持ちはわかる。
でもさぁ…新人賞に出すか!?
このクオリティで。冒頭数ページの日本語や心理描写がグズグズで、なおかつキャラクター性もきちっと出てない何一つ褒めるところがない作品。
いやいや、記念や思い出、一度ぐらいは…とか言って、出す人はいるだろう。
でもさ…この人の面白いところは、誰にでもわかるミスをさんざっぱらやらかした後で、「俺の小説が通らないのはおかしい」とのたまう文章を出してきたところだ。
MJ文庫ライトノベル新人賞の結果が返ってきた/新橋九段の近況ノート - カクヨム
それも見てみよう。
新人賞には評価シートというものがあって、自分の作品の出来不出来を知ることができるシステムになっているんですね。
で、その結果なのですがざっくりまとめると
(中略)
ラノベのくせに設定のリアリティって……半額弁当を殴り合いで奪い合うラノベとか、テストの点で強くなる召喚獣が普通に存在するラノベで育ってきたこっちとしては戸惑うばかり。
日本語が不自由な人の文章でも送ってきたら品評しないといけないなんて、ラノベの品評やる人は大変だなぁ~
注目すべきは「ラノベのくせに設定のリアリティって…」というとこ。
フィクションを批評する際に、「リアリティがない」という言葉をよく使う事があるんだけど…アレって要するに「共感する糸口がない」とか、「無茶な設定を正当化するだけの説得力が弱い」という意味なんだよ。
物語が極端な設定だったり、世界観なのはいいのよ。
例えば、「最弱のキャラが最強に勝つ」みたいなラノベがたくさんあるけど、アレって「戦い」だからリアリティがないけど、スクールカーストとか学校の成績とか…そういう自分の日常で争ってるものをメタファライズしたもんだと思えば、なんもおかしくないわけ。
バカとテストと召喚獣はよく知らないから割愛するけど、ベン・トーはああいうスポーツやゲームにお熱な人…そういうものに子どもながらに憧れてしまう人だと思えば、なんにもおかしくないわけ。
僕は「異世界転生ラノベ」に否定的な立場を取ってるけど、アレも「自分の人生が変わりだした転換期をわかりやすく切り抜くための設定の手法」「おっさんの実体験をティーンでも共感できる例え話に落とし込もうとすると、異世界が手っ取り早い」と考えたら、前後の説明を省きやすいすごくいいアイデアだと思う。
例えば、僕がブラック企業をやめてブログに本腰を入れたことで、男女問わず友達が増えて、お金も入ってきたり、僕の技術や知識が人の役に立ったり、世の中を小さく変えたりした。
…こんな話を楽しく読んでくれるのは学生と人妻だけで、ティーンな高校生にはアプローチしにくい。
でも、今の社会に絶望してた若者が、ひょんなことから異世界に転生してしまう。
異世界では援護系の魔法使いとして、女騎士やシーフをサポートしてウハウハモテモテに。
また、女騎士・シーフ・若者でパーティーを組んで、村を盛り上げると、その村からたくさんの勇者や冒険者が出てきて、今では村に行くたびに新しい仲間が入ってきたり、腕自慢に勝負を挑まれてる。
↑と、かいたら、すご~くラノベっぽくない?
ブログを異世界、ライティング技術をファンタジーのジョブに、読者の役に立つ情報の提供を女騎士やシーフのサポートに変えたら、ほら異世界ファンタジーラノベのできあがり。
フィクションなんてそんなもんなんだよ。
同じような話を何かに置き換えて話す。
例えば、「小さいからの英才教育と活躍で野球選手としての道を歩むも、その英才教育がかえってプロとしてアダになり、野球を辞めかけるも、大リーグボールを開発することで復活」とかなら巨人の星だけど、
「小さいからの英才教育と大きな期待から、一流の戦車乗りになってチームの副隊長を勤めたが、1つのミスからトラウマになり、一度は戦車道をやめるものの再び引き戻される(最初はいやいやだったけど性分で本気を出してしまう)」ならガルパンだよね?
この辺のことは漫画アシスタントの日常(3) (バンブーコミックス) [ 大塚志郎 ]を 参照するといいよ。3巻は1冊かけて物語の作り方のはなししてるから。
話戻すね。
それにそれなら異世界に転生するのはリアリティがあるのかよと不服な気もしますが、どうなんでしょうか。
逆に言えば舞台設定を異世界へ飛ばしてしまうことのメリットはまさにここなのかもしれません。
リアリティの有無じゃなくて、共感しやすい形に自分の日常や成功体験を落とし込む(メタファライズする)と、異世界ファンタジーというのはすごく適当な形なんだよね。
リアリティを根本的に誤解してる人にはわかんないと思うけど。
「この学園はギャンブルで揉め事を解決する!」といっても「はぁ?」となる人は多いと思いますが、「俺が転生した先はギャンブルですべての物事を解決する異世界だった……」なら「そんなもんか」と思う人が大多数なのでしょうね。
「ギャンブルで揉め事を解決する」って設定自体が、まずギャンブルじゃないよね?
スポーツ感覚でギャンブルするならギャンブルじゃないし、レバレッジかからないなら勝負をただギャンブルって読んでるだけだから、もう「ギャンブルで揉め事を解決する」という文言自体がおかしい。
やっぱり理不尽な気もする!
理不尽も何も、文章がダメすぎるだけじゃん…。
そこを直視してない小説が落ちてるからダメ。
この人は、品評されたものを読み違えてるし、そもそもアイデアに対する品評以前の問題。
体幹ができてない人や、本質的なコツがわかってない人がプロ野球選手と同じフォームでバット振ってもホームランにならないのと一緒。
それを、上辺のアイデアだけで「あの作者もリアリティがない」とか、「ラノベにリアリティが」とか言うの、ちゃんちゃらおかしいよね…。
極めつけはここの文言。
全体的に評価が低調だったので審査員との相性が悪かった可能性も。
ギャンブル学園で行われるゲームに関してはアイデアはまだあるので、うまいこと設定を換骨奪胎してまた書きたいですね。
相性が悪かった!?
いやいや、一次審査で落ちてる時点で、物語の面白いつまんない以前に書けてるかどうか、文章が成り立ってるかどうかがダメだってなんで思わないの?
「アイデアがまだある」「うまいこと設定して」だと!?
ふざけんな!!そんなことする前に自分の文章を読み返せよ!!
アイデアや設定以前に読めない文章・何を見せたいかが伝わらない文章書いてる時点で、この人はもうダメなんだよ。
小説家ワナビーや、インターネットお絵かきマンが脱却できない人に共通してるのはね、ネタの良し悪ししか見てなくて、深いところを鍛えようとしてないところ!!
ダメなブロガーは、時事ネタに有り体の意見をダラダラ書くブログであることが多いし、
ダメな小説家ワナビーは、自慢のアイデアがいいとか悪いとかばっかりで、アイデアを出し切るだけの文章的な体力がない。
ダメなインターネットお絵かきマンは、リツイートとふぁぼばっかり見てて、キャッチーでライトなものばっかり。画力があれば、RTされることはあるが、説得力が深い所に刺さってこない人はフォロワー多くてもだいたい商業媒体に進出できてない。
深い所を鍛えるためには、アイデア考えてる時点でもうだめなんだよ。
面白いやつは、どんなお題で書いても面白いから、面白い時の感覚や、自分自身の書き物をそこに持って行けてるかどうかちゃんとチェックできてる。
できてない人はね…まず、自分なりの面白いを作ること。
その次に、それがキチッと自分の作風に取り込めてるかどうかを自分の作品を読んでチェックすること。
checkは、上っ面のネタやアイデアじゃなくて、
・読んで意味が通っているか
・表現が的確または具体的か
・情景がキチッと伝わるか
・感情が揺さぶられるか
ちゃんとそこをチェックする!!
自分でチェックできてない人が、新人賞出すのもちゃんちゃらおかしいし、出した後「審査員との相性が悪かった」なんていうのは笑止千万だよ!!
あ、そうそう。
ちなみに、この新橋九段という人は、なんと塾講師で国語を教えてます。
そんな人の文章力がこれかと思うと、教育ってなんだろうという感じですわ。
文章力があるとかない以前に日本語が不自由・面白いことや作品の構造がわかってない…そんな人に国語を教えられてる生徒がかわいそうです。
フィクションのアイデアやプロットで本気で悩んでる人はこれを読むといい。
それ以前の問題の人はともかく、本当にアイデアやプロットで悩んでる人にはちゃんと救いの手があるから。
母が、自分の生まれた病院を再度訪問した時の話。
この間、うっかり思い出して大爆笑してしまったエピソードをどうしてもどこかに書き残したくなったからブログに書く。
でもその前に、ちょっと予備知識を共有させて欲しい。
夢を見たら、「お告げがあった」といって朝食時に披露するイタコ系な母
散々「僕の母はアクが強い人物だ」と言ってるが、そのアクの強さを説明する上でぼくがよく使うエピソードが
「昨日、お告げがあったの」
と、自分が見た夢を熱弁するところだ。
しかも、迷惑なことに受験に行けないといけないとか、今日は運動会で、出ることがほぼ確定してる野球の試合で…とかそういう大事な日に限って
「お告げがあった」
とか言って夢の話をし始める。
我が家では、朝食の時に母の事実上の説法を聞かされるわけだが…母が夢を見たときだけは、「お告げがあった」と言い始める。
子どもの頃、親って絶対的な存在だし、いちいち疑ったりもしないでしょ?
だから、自分が見た夢を「お告げだ」と言いはったり、自分のことを棚に上げて説法を繰り広げる母親がすごい人物に見えちゃってた…。
そういう時期が僕にはある。
いや、しばらくはそういうもんだと思ってたせいで、ビックマウスな人や、説教臭い人を見かけても僕は危険を感じ取ることができず、
「人前で、こんなに自信満々に話ができるんだから、この人はきっとすごい人なのだ」
と思う変な癖がついてた。
今思えば、「日本で最もイキってる人選手権」に出しても全国区の実力は叩き出すであろう爆弾発言だと思うんだけど…ぼくの母はそういう人だった。
「そんなに、スピリチュアルな母親な(というか、【スピってる】)のに、怪しい宗教にハマらなかったんですか?むしろ、青二才さんは何かしらの宗教に帰依してないですか?」
と言われそうだけど…母はねぇ、オーラの泉大好きでしたよ。
母はね、まともな宗教できるほど頭良くないよ。
ぼくは…一人暮らししてる話半分にエホバの証人の良くしてくれるおじさんとしょっちゅうお茶飲んでた。
別の親戚がエホバの証人だった関係で、エホバの証人の人がどういうことやってるかは興味があるので話聞いてたけど…宗教って繊細なんだよ。
特にキリスト教の場合、宗教との距離感の違い・聖書に対する解釈が違うことで、宗派が違うから…ちゃんと聖書に対して勉強しようとするか、村社会的なコミュニティに耐性がある人かでないと…そもそもキリスト教向いてないんだよ。
カトリック・プロテスタント・エホバの証人問わず。
それどころか、世の中ではカルト呼ばわりされがちな、創価学会や幸福の科学、あとはオウム真理教辺りも、「他の宗教との位置関係」が存在するため、あんまり頭が悪いと響かないようにできてる。
マスコミでは踊り念仏みたいなところしか流されてないオウム真理教でさえ、オウムの教えを紹介するビデオでは、
「ハルマゲドンについての予言が日本語に訳す過程で、間違った訳され方をしてる」
という、宗教団体っぽい論争を数十分載せている。
だから、宗教の中でも、トラディショナルな宗教や、神学的論争をしようとしてる宗教にはある程度頭がいい人しかハマれないようにできてる。(だから、オウム真理教の信者は理系オタクと、熱心にヨガに打ち込む女性がメインだったわけで…。)
下手に頭がいい人のほうが年取ってから急激に電波になったり、若い時に怪しい活動をしてやんちゃするのはそういう理由。
その点、母は…スピってるにはスピってるけど、別に神やハルマゲドンを信じてるわけではなく、それどころか唯我独尊だから、他の神を崇めるような宗教にはハマらなかった。
その代わりに、やれお告げだ、やれ前世だというスピリチュアルな事を言う番組や、そういうお涙頂戴は大好きという俗物極まりない趣味をしてた。
…自分で言うのもなんだけど、僕が中学高校から英才教育を受けてる「純粋培養されたインテリ」と話が微妙に噛み合わないのは、受けてきた教育が平均的でかつ粗悪すぎるから。
僕がいう「純粋培養されたインテリ」って、県下上位の中高一貫レベルなので、そんな教育受けてるやつの方が日本には少ないけど…僕の周りにはそういう人が多いから、話が合わないのが地味にコンプレックス。(発達障害持ちの僕が平均の教育だけで渡っていくのホンマしんどいので)
食べ物とか、習い事とかは育ちがよくしてもらった方なので感謝してるけど…本人が
「家庭が豊富人(豊婦人?)」というスローガンを掲げてるように、トレンディードラマのように生きたいと思ってやってきた結果だからねぇ~。
トレンディードラマ嫌いを僕は、「純粋培養されたインテリ」であるきみたりさんには理解してもらなかったけど…バカがトレンディードラマの真似事で子育てしたら、自分のことを神だと勘違いしながら、朝食で子どもに説法を始めるってことを僕は知ってたからなわけ。(親戚の証言によると母は元々おとなしい人だったらしいが、大人になって色々あって人が変わってしまったそうな)
大事に育てられればいいってもんじゃないのよ。(大事に育ててくれたのは認めてる)
エゴと愛情の区別もつかない人の愛情は宗教や暴力や洗脳と変わらないんだから。
母氏、夫婦で母が生まれた病院へ行く
転勤族だった家族が転々とした結果、僕が17の頃に母が生まれた場所まで行ける場所に住むことになった。
その日、僕は土曜日だったから学校に行ってたんだけど、学校から買えると父がげっそりしながら、その「母が生まれた病院」に行った話をしてくれた。
父の話によると、母は「肩で風を切る」ように早歩きになって、
「聖地、聖地!!!」
とものすごい迫力で興奮気味に、病院を目指したそうだ。
僕は、生まれた場所が親戚の家の近くの病院だったので、さんざっぱら通っているからそこまでありがたみがわからないし、そもそも自分が生まれた病院にもう一度行ってみたい人がどの程度いるのかを知らない。
ただ、母にとっては自分が生まれた病院が未だにあることは、肩で風を切って「聖地だ」と言いながら突き進んでいくだけの価値がある場所なんだそうだ。
…いや、僕だって、阪急電車やJRに乗って神戸に帰った時、神戸にしかない風景が出てきた時に涙がこみ上げてきたから、
「人間、誰にでも、思い出の場所はあるよね」
って言う気持ちはわかってるつもりだ。
でも、記憶にもないし、風光明媚なわけでもない首都圏の大病院を自分が生まれたからといって、聖地だとも思わなきゃ、肩で風を切って早歩きで見に行きたいとも思わない。
よしんばそうだったとしても、配偶者を連れてそんなところに行くのが面白いか考えたら…そうじゃないと思う。
ちなみに、僕が生まれた病院の近くは割と風光明媚で、親戚の家と繁華街を結ぶ道が独特だから、そこは配偶者や友達と行ってもきっと楽しんでもらえると思う。
…でも、さすがにそれが聖地かと言われたら…ねぇ~。
一般的にはトレンディードラマに出てきそうな幸せな家庭よ?
でも、トレンディードラマな自分に酔ってる人間は自分のことを神か偉人だと思うし、トレンディードラマに出てくる子役に程遠い発達障害持ちの僕は、トレンディードラマ的な教育がむしろ暴力的でしかない(むしろ、中学から2ちゃんねるをみたり、深夜アニメみたりできる家で育ちたかった)わけ。
善悪の話じゃなく向き不向きの話。
自分のこと神か偉人だと思ってる人間、僕には向いてなかった。
イキリオタクがダサい理由がよくわかりました。
ブログをワードプレスに移籍してから初めてバズりました。
フットボールネーションの「もも裏歩き」はマジで痩せるので、おすすめ!! – 青二才でいたかった
2週間実践してみたことが良かったから「こんなことをやってみて、すごく良かったよ」的な記事を書いたのですが…コメント欄がイキリオタクだらけで酷かった。
イキリオタク、お焚きあげ~
バカバカしすぎて印象に残ってるイキリオタクの
・そのマンガの監修をやってる高岡英夫という人が胡散臭いからダメ。
→眉唾な人なこと・癖の強い人であることはわかるのだが、具体的に文献をちゃんと引用してまとまった批判を描いている人がいない。なのに、俺に対してはまとまったエビデンスを求めてくる。
・ハムストリングスで基礎代謝は上がらない。
→さらっと調べた限りそんな話は出てこないどころか、「大きな筋肉を鍛えると代謝やホルモンは上がる」という話の方が出てくる
・体重や写真を撮った上での変化を求めてくる
→客観的に見て美男美女になったわけじゃなくウエストが指4本分細くなって、太ももと腰回りが締まってお尻が上がっただけなので…そんなもん、写真で見ても気づくわけないじゃん!!
ダイエットの広告とかではビフォーアフターの写真を載せるのが当たり前だけど、あんなもん筋トレをキチッとしてる人なら「細かい所から痩せていくから、大きな変化・誰が見ても気づくような変化にはとても時間がかかる」のは馬鹿でもわかる。
体重を求めてくるやつもそう。
体重なんて、別に何キロでもいいのに、何キロなら痩せてる/太ってるという目安を見て満足したい人がそれをもt目てくるの、ちゃんちゃらおかしい。
…じゃあ、聞くけど、イチローは80キロですよ。これは太ってます?痩せてます?一般的には80キロというと太ったイメージ持たれるけど、イチローは太ってますか?
こんなこと聞くまでもなく、体型や筋肉量の方が単純な体重よりも遥かに重要な事ぐらいわかるよね?
もうちょっと言えば、体型やサイズが痩せていたとしても、筋トレの初期段階は(脂肪よりも密度が高い代わりに、重たい筋肉を付けてるのだから)体重は増えていることも多いよね?
体重計乗って一喜一憂するヤツみたいなテンションで俺にネットで突っかかってくんな!!
体重も肥満度もあくまで目安でしかない。医者と健康診断のための健康が一番大事な人はそれでいいんだろうけど、それを万人の正解だと思ってんじゃねーぞ!!
イキってる人達の知識量ってさ…なんでこうも中途半端なの?
いや、知識だけじゃなくて、
「なんで、自分が思ったことをやってないやつはバカ扱いで、俺や他の記事製作者さんが、出しているスタイルを尊重できないの!?」
…と割と心の底から思う。
一見、頭いい人であるかのようにイキってるけど、細部が雑なばかりか「自分が頭いいと思ってる&会話する気もないのに突っかかってるところ」が非常にダサいわ。
イキリじゃないツイートにはお返事を返すようにしてるけど、イキリの人って、会話にならない・生産的な議論が生まれないからホント邪魔!!
前に、このブログで「質問が下手なやつは何をやってもダメ。 」という記事を書いたけど、質問と指摘は紙一重だからね?
相手の意図や返答、自分が言いたいことがはっきり考えられてない人はいい質問するのは難しいからね?
100点満点に正しくないことにケチつけてイキってるだけの人が多いから言わせてもらうよ。
世の中は「やったやつ」が偉い。「正しい」だけでやらない人はゴミ以下!!
ぼくがあの記事で伝えたかった人は、
・2週間同じ筋トレを続けることの重要性。
・自分に合う筋トレをめげずに探し続けることの大事さ
・痩せること、筋肉をつけることへの楽しさと、そういう段階の存在
この辺のことを伝えたかった。
別に、100点満点に正しい筋トレだとも思わないし、万人に効くとも思ってない。
ただ、自分にとっていいものだったし、同じような喜びが味わえる人が増えるといいだろうとおもって良かれと思って勧めてる。
だいたいね…健康や筋トレのことには正解なんてないんだよ…。
いや、「現時点での正解」は常にあるけど、筋トレや健康の正解なんて新事実もたくさん発見されるし、時代によって求められてる健康や予防も違うから、「絶対的な正解」なんてない。
よく、「うさぎ跳びはよくなかった」なんて言うけど、それでもうさぎ跳びを一生懸命やった昔のアスリートの方が、「昔の人は野蛮なトレーニングをしてたんだ」とかなんとかイキってるだけの頭でっかち寄りは遥かに運動できるし、根性もある。
あるいは「低炭水化物ダイエットがいい」とか「野菜をたくさん取るのがいい」とか言って、減量をがんばった人が意外と救急車で運ばれたり、心が貧しかったり、する一方で偏食でも長生きする人はいる。
…健康や筋肉のことなんて何がいいか正直わかってない。
いや「わかってない」は言い過ぎにしても、「精神的な部分が、理論や方法に勝ってしまう」ことはいっぱいある。
何が正しいとか、何が間違ってるとかネットで論争すること自体が野暮。
「野暮な議論でも納得したいから聞くんだ」という人は、みんながみんなポジショントークをしているだけだと思って聞くことを推奨したい。
…だから、自分に合うものもあるし、合わないものもある。
ただ…合わないトレーニングを勧めてる人や、合わない食事を選んで病院に運ばれてるやつがダメかというと…ぼくはそうじゃないと思う。
健康のことは、「自分の中の正解と理想的な状態を手に入れること」が最終目標。だから、それが失敗であっても挑んでる人のことはけなしちゃいけない!!
そもそも、ネットであれこれ書いてるイキリオタクや、社会的地位があってもネットでは別人格を使って他人の悪口を書いてる人達って…野蛮な方法で成功した人や、失敗でも自分の健康にストイックに取り組んでる人の文句を書く資格なんかあるのか?
イキリオタクと常見陽平の鬱陶しさはそこなんだよ。
他人に正しくないとか、意識が高いとか揶揄する一番卑しい人間が、卑しいくせに(卑しいからこそ)偉そうにしてる。
そういう惨めな人間が自分の視野に入ってくることもまず不愉快だし、不当に悪口を書かれるのも不愉快。
そんでそういう人を批判した
・オタクだから嫌われた
・女だから強く詰められた
・有名人じゃなかったから見下された
みたいなこと言うんだけど…ちがうからな?
単に「おまえが」不勉強でかつ、不誠実で、何よりも鬱陶しかっただけだからな?
ネットで、愚痴っぽかったり、批判っぽい人は、何故か自分の不勉強まで生まれや、育てられてきた社会性のせいにしたがる傾向があるけど…単にもっと考えて、もっと対話する気で喋れば通じ合えることを、雑にしか言えない・ちゃんと考えずに頭ごなしな言い方しかできない君自身が悪いからな?
いや、頭ごなしだからイキってるのか。
ダサいのは頭ごなしからくる不誠実なのか、それとも不勉強から来る雑さを賢いと思いながら言ってる勘違いっぷりなのか…。
「意図しない攻撃こそが攻撃」というタイプのやつが一番怖い。
最近、数年来の読者の方にクイズマジックアカデミーというを進めた。
野球の問題についての知識を聞いたところ、12球団が言えないどころか、ポジションがカタカナで言えない人なので
「いくら車の問題に強いと言っても、他の基礎知識が軟弱だから、彼がそこまで強いことはないだろう…」
と思ってた。
その人がクイズを始めたから実際にお会いして、クイズ対決をしてみた。
…すると、自分のほうが3ヶ月以上早く始めたのに…ボロ負けした。
苦手な並び替え問題で、異様なセンスを発揮したり、強みだと言ってない理系問題がウルトラ強かったり…本人が得意だと言ってないし、気づいてないことでことごとく凌駕されてしまったから
「うわぁ~何だこいつ!!!!」
となった。
その時、松本人志が、ドキュメンタルという番組の中で、
「井戸田潤は攻撃だと思ってしかけたことは大したことないけど、攻撃だと思ってない攻撃が強い。」
と評して、実際に井戸田潤が偶然やらかした失態から、番組を構成するバトルの流れが大きく変わった話を思い出した。
ぼくのブログの読者には、こういう人がやたらと多い。
自己肯定感が低かったり、競争の場に参加していないことから、自分が当たり前だと思ってるスキルやセンス…これが武器になることに気づいていない人が多い。
クイズの問題で理系の知識がすごいってことは…それだけ理系の教養があるってこと。
クイズの並び替え問題についてのカンがずば抜けていいということは…それだけ、知識を得る時に器用に当たりをつけることができるということ。
クイズは頭の筋トレでしかないから、一人ぼっちでゲームセンターでクイズをやってるうちはなんの武器にもならない。
でも、文章にしたり、参考文献を紹介した途端に誰かの悩みを解決したり、友達ができたり、お金が入る武器になる。
自覚しないとお金や人脈作りにしたり、新しい世界は開けない。
だから、ぼくはそういう「自覚がないけどすごい人」を見つけては、長所を指摘したり、マッチングできる特技・趣味を見つけるようにフォローしてる。
でも、はじめて戦う時には、こういう相手こそが一番怖い。
なにしろ、すごいことをやってる自覚がないから、気配がない。
気配があれば、いくらでも読んだり用心したりできるけど…自覚がない人が無自覚に特技を発揮するからどうしようもない。
…ラジオ番組みたいな山も落ちもないトークなんだけど…ね。
そういう人がオタクの世界って多いから彼らにメイクマネーさせるべく、クイズマジックアカデミーや、仮想通貨と言った
「ゲーム好きや理屈っぽい気質が、そのまんまお金や友達作りや、お勉強に使えますよ」
って趣味を進めてるわけ。
ただ…そういう相手と初対面で会う時…自己申告と、その人が持ってる武器がズレてることが多いから…迂闊に踏み込めなくて戸惑うことがあるんだよね。
特に、卑屈だけど、頭のいい人に好かれてるオタク・理系にはほんとそういう人がいるからね~。
仮想通貨進めるのも、投資って極めてオタクなゲームだから。
銘柄と技術と開発の動向をネット的にリサーチして、自分なりの仮説や法則を組み立てて遊ぶ。そういうゲームだから。
ネットで色んな調べ物をする人にとってはネット民的みたいな調べ方、学び方がそのままお金になるから親和性高いと思うし、それはゲームやネットしてたらお金になりえないことをお金にしてくれるから、「意図しない攻撃こそが攻撃」を地で行く戦い方ができそうな気がするんだよなぁ…。
急に金の話すると毛嫌いしたり、ネット民の評判見て右往左往する人が出ちゃうから、意外とゲーム方面からの参入者が増えないんだけどさ…。
西野カナの「トリセツ」が女性版の関白宣言なので、紹介したい
昨日に続いて、音楽ネタ。
Creepy nutsのラジオを聞いていたら、R-指定が
「西野カナのトリセツは、女版の関白宣言で、こういう歌が出てくる(共感される)辺り、今は女性の時代」
という話をしてた。
そういうわけで歌詞を見に行ったのだが…なかなか味わい深かったので、紹介しとく。
ちなみに、歌詞を引用しながら検証するので、まだ聞いたことない人はよかったらチェックしてみてね。
…じゃあ行くか。
まず、冒頭の部分が下ネタにしか聞こえない。
冒頭がこんな感じ。
この度はこんな私を選んでくれて
どうもありがとう
ご使用の前にこの取り扱い説明書をよく読んで
ずっと正しく優しく扱ってね
「ご使用の前に」って…何を?
お付き合いって男女でそれぞれ探り探りなのに、なんで、男が「ご使用」することが前提になってるの。
お付き合いよりもむしろ、セックス絡みのことで「(体を)貸してあげる」みたいな女性の言い回し…男性向けのエロ本にはたまに「(体を)使う」というフレーズでセックスを表現することあるけど…これって文法的には男性向けのエロマンガと同じ扱いでいいの?
それに「正しく優しくお付き合いしましょう」よりも、「正しく優しくセックスしましょう」の方がはるかに文脈が通るんだけど…。
というか、正しくも優しくもお付き合いできない相手と付き合うなよ…根本的な問題として。アタリマエのことを選ばれてから「正しく優しく扱ってね」とか言われても、「いや、そんな念押しをしないといけない相手断れよ」としか思えないわ!俺は。
「扱ってね」って言うのも、これ女性の文法ではけっこう危うい言葉で「扱われている状態」が女性自身あんまり好き人もいるから、聞く人が聞くと憤慨モノの表現なんだよ…。
いや、エロ本用語としての「(体や性器を)使う」という表記に「わかる」と思う俺でも、交際する相手を「接する」ではなく「扱う」と言い回す方がずっと抵抗がある。
いや、「彼女を扱う」って聞いたら、性的なニュアンスに聞こえるでしょ…。
寂しそうにしてたら撫でるとか、記念日にプレゼントを忘れないことと素直に読み取る人、そんないるか!?
…とまず冒頭の時点で思ってしまうのよね。この曲。
次行こう。
「女ってめんどくせー」と感じるケーススタディーのオンパレード
急に不機嫌になることがあります
わけを聞いても答えないくせにほっとくと怒ります
いつもごめんね
でもそんな時は懲りずにとことん付き合ってあげましょう
メンヘラか!
そもそも、付き合ったら付き合ったで申し訳なさで押しつぶされるか、逆に機嫌悪い時にちゃんとうまい慰め方ができないとかえってキレるから…長期的に見るとほっとくのが無難なんやで?
ぼくだって、好きな人が病んだ書き込みをネットにしてる時とか、返しに困るような時あるけど、そういう時って「色々あるんだろうなぁ~」と返事を曖昧にするか、ぼかしてあんまり触れないようにするもん。
そもそも、好きな人のメンタルがヘラってる状況をとことん付き合ってまで見ていたいと思う?
男女逆だったら、「男はマザコン」だ「私は彼女だが、ママじゃねー」とかいい出すの目に見えてるシーンなんだから、機嫌悪い時はスルーが正解ですよ。男女ともに。
嫌われたくなかったら、スルーされたことを恨まずに謝るし。(恨んでくるようなバカは…うーん、うーん…)
※ただし、女性が産前産後のメンタルが不安定な時だけは、とことん付き合ったほうがいいケースもあるから、「彼女」と「妻」で不機嫌に付き合う度合い変えるのが重要。産前産後の不機嫌をスルーすると、何年もかけて復讐されることが出てくるから
まだあります。
定期的に褒めると長持ちします
爪が綺麗とか 小さな変化にも気づいてあげましょう
ちゃんと見ていて
でも 太ったとか余計なことは気づかなくていいからね
男の鈍さなめんなよ!!
まず、女が思ってるほど太ったことに気づかねーし、女に「太った?」とか言えるのはよっぽどのヤリチンか、10キロぐらい太って取り返しがつかないほど太ったときかどっちかだわ!!
爪とか髪の毛に気づけるのも表参道で服買える人だけ!!
東京都港区に入ると体調を崩す俺みたいな人は、爪も髪の毛もみてないし、わかりやすく太って以前とは比較にならないレベルにならない限り指摘できない。
そして、そんな人が大半だからな?
つまり何が言いたいかというと、
・これを言い出した途端、ヤリチンとしか恋愛してない下のゆるい女である可能性が高い。
・または、自分のこだわり/常識が世間の当たり前だと思ってる自意識過剰(または客観的な視点を持ち合わせてないオバカさん)である可能性が高い。
ってこと。
そもそも、俺が筋トレはしてるけど、体重的にはデブだから、むしろ見てるのは尻。
…あ、触りたいかどうかじゃなくて「筋トレしてる人のスッキリとしたお尻かどうか」を見てる。
尻がスッキリしてたら、太っていても実は筋肉や体力があるか意識が高い人。
逆にケツ(の肉)がゆるい女性は、痩せてるかもしれないけど健康じゃなくて鏡で見た感じや服のことしか考えてない(彼女として能力が高いかもしれないけど、妻や仕事人としての能力についてはかなり懐疑的な)人。
お尻の筋肉って、人体の中で4番目に大きな筋肉だし、尻を鍛えようとすると、人体で1番大きい前の太ももまたは後ろのハムストリングスを鍛えてないときれいなお尻にはならないから…お尻がゆるい人は筋トレの方法が間違ってるか、そもそも筋トレに関心がない人。
だから、女の子の魅力はお尻!!
…いや、ぼくはおっぱい星人だからデカい方が好きだけど、それでも、筋トレや健康への意識見る上で目安になるのはお尻!
その他の条件が全部同じの時、胸のデカいデブと尻が締まった貧乳のどちらがいいかとと問われたら、お店以外なら尻を優先します。(お店の時だけ胸を優先する可能性があるけど、逆に言うと…まぁ、そういうことなんです)
意外と一輪の花にもキュンとします。
何でも無い日の
ちょっとしたプレゼントが効果的です。
センスは大事。
でも短くても下手でも
手紙が一番嬉しいものよ。
言わんとする事はわかるけど、レトリックがよくないせいで矛盾して見える。
「意外と一輪の花にもキュンとします」「短くても下手でも手紙が一番嬉しい」と「センスは大事」がものすごく矛盾してるようにみえる。
いや、男って自己顕示欲強いやつ多いから、凝ったプレゼントをしがち。
凝ったモノがセンスとあってたり、量産できてれば女性にとって問題ないと思うけど、無駄に大作を作りすぎたり、他人のこと考えない人がいるから…そこを言ってるんだろうなぁ~という意味では西野カナの言いたいこともわかる。
「ちゃんと相手のことを見て、相手の求めてる頻度でのプレゼントなら小さくても拙くても嬉しいよ。でも、独りよがりのプレゼントならそうじゃないよ」
って話だとは思うけど…これもモテた経験のない男にはけっこうハードルの高いお題なんだよなぁ~。
やっぱり西野カナさんの交際相手または、西野カナが想定するリスナーって「モテ男に群がってる女子の一人」って人が多いのかな…。
ぼくはある程度モテるから西野カナの言いたいこと、ある程度わかるよ?
ただ、自分の趣味や仕事に没頭しないで、お互いが男と女を追いかけ合ってる人同士の世界って、表現力の面でも、精神面でも未熟だなぁ…ってぼくは思っちゃう。
西野カナ版、関白失脚が待たれる
ちなみに、女性から非難轟々な関白宣言には「関白失脚」という対になる歌が存在します。
「関白宣言はするものの、実際はそんなにうまくいかない」「亭主関白でいたいけど、結婚したら恐妻家になってしまう」みたいな話なんだよ。
西野カナの場合は、トリセツという歌の対になる曲は何なんだろう?
「結局、取り扱うどころか、めっちゃ彼氏甘やかしまくってます。」
「あんなに立派だった彼氏に、なんでもしてあげたらダメンズになってしまった」
「トリセツ通りに接してくれたけど、本当にうまく扱われるだけの女性の一人に成り果ててしまった」
的な鬱ソングを僕はマジで待ってます!!
それをやってくれたら、僕は西野カナをマジで勉強します。
「あー会いたくて会いたくて振るえてる人ね」
「行かなくちゃいけないのに傘がない人の現代バージョンね」
なんてもう二度といいません。
西野カナさん、マジでお願いします。
俺、けっこう期待してるんです!!